今年に入ってからずっとストレスマックス状態で、胃袋は常に気持ち悪いし、
何を飲んでも食べても美味しくないし、寝つきも悪けりゃ眠りも浅くて、
常に体のどこかが痒くて傷だらけ、という状況が続いていた。
頸椎ヘルニアの右肩の痛みや左肩の故障の痛みに加え、別の不安事がでかすぎて。
あと、近隣の部屋の住人の騒音問題もあるな…。
おかげでストレスによる自律神経の乱れが凄まじく悪い状態だ。
そんな状態なので、心から何かを楽しんで行うことなんてまったくできなかった。
人間はストレスが過大にかかると、逃避行動を起こすことがあるが、
そのおかげでいつもの数倍以上のスピードでサイト更新できたり、
カラオケで曲数を歌い込めたりというのはあった。
(その分体力の消耗が激しいので、その後、短時間とは言え倒れるけど)
私はストレス耐性はまるでないけど(ソッコーで体に出まくる)、
この手の困難自体に耐える力はあるので、
人生においては何度も何度もそうやって一人で乗り越えてきた。
後は、私は未来が視えたりすることがある。
視ようとしていつでも視れるもんじゃないけど、ふとした瞬間に一瞬見える。
そこで視えた自分の未来の姿に向かって日々過ごしてきた、という感じ。
例えば、転職活動中に知らない会社の中で仕事してるような自分の姿を視たら、
そういう会社を探すと上手くいくので、そこへ向かって転職活動すればいい。
物件を探している時に、知らない物件の窓から外を視ているようなビジョンを視たら、
その景色を頼りに物件を探せば、いい物件に出会える。
昔からよく予知夢は見たので、それの白昼夢バージョンという感じ?
その白昼夢的な未来視によって自分の姿を視たところ、
特に変わらないいつもと同じ日常が見えた。
ということは、自分の環境が大きく変わるような不測の出来事は起こらない。
つまり、不安になるようなひどい出来事は起こらない、ということだ。
それを励みに、この数か月のストレスマッハな日常を送ってきた。
もしもこのストレスな日々が解消したら「自分へのご褒美に久々に外食しようかな」とか、
ほんの少しでも気持ちが上向くようなことを想像しながら。
自分の未来の姿が視えるなら、不安になんてならずに過ごせばいいと思われるだろうけど、
未来視というのは実際はとても不安定なものだ。
それにストレスの渦中にある時には、そういう楽観的な気分にはとてもなれない。
(それが未来視だったと確定するのは、かなり後のことだしね)
後は、この未来視のおかげでひどい目に遭ったこともあるしなぁ…。
未来視は自分のために使う分にはかなり有用なんだけど、
それを他人のために使うとなると話は変わってくる。
ま、いいことなんて何も起こらないってことかな、他人のために使ったとしても。
疑われたり、怖がられたり、気味悪がられたり、そもそも信じてもらえなかったり。
つまり、未来が視えたとしてもそれが生かせるような他人に出会えはしないってことだ。
漫画や映画やアニメの中なら「君が言うことなら何であっても信じる」も成り立つけど、
現実にそんな展開は99%ないね。
悲しいことに。
未来視の話はさておいて。
先日やっとそのストレス源が解消したので、これから少しづつ不調は収まると思う。
しかし丸々2か月以上過大なストレスに晒されてきたので、一足飛びに治りはしない。
1週間程度で、胃の不調くらいは収まるかな。
もしも現実の人間の生活が、sims4みたいに好きな場所に住めたり簡単にお金が稼げたり、
いいなと思った人と簡単に友人や恋人になれたり、やりたい仕事や趣味がどんどんできたり、
どんな服も素敵に着こなせたりしたなら、誰もひどいストレスになんて苛まれないのにね。
多少のストレスくらいなら、やる気を出す元にもなるだろうけど、
人間はなかなか漫画やアニメの主人公みたいには、化け物級のタフさにはなれないからね。
…でも自分の人生は、けっこう化け物級に近いタフさが必要ではあった気も…。
逆を言うと、だから未来視を授かったとも言えるのかもしれない。
もしもそれがなかったとしたら、私は子供の頃に死んでいただろうから。
でも本音を言うならば、そんな能力いらないから人一倍恵まれた環境に
生まれたかったなぁ…。
いい環境に生まれ育つってのは、それだけで超能力と同じだもんな。
不確定な未来視なんかと違って、確定的に思う通りに生きられるしね。
ま、ないものねだりしてもしょうがないから、あるもので勝負するしかないけどね。
ともかく、近々ご褒美のご馳走食べに行こう(*´∀`*)
マジで十年近くまともな外食とかしてないから、楽しみだ。